retroさん主催のBlog"Retro@Diary 〜Rev.B〜"の「今一度「blog」というモノを考えたい」を読まれた方はご理解されている事と思われますがMac系Blogで最近ご活躍されているMacBookさん主催「MacBookで書くブログ」が突如閉鎖されました。
大変平たい表現ですが正直に驚いていますし非常にショックです...retroさんの記事を読ませて頂いている限り原因はコメントに書き込まれた「誹謗中傷」の様子...非常に残念な出来事です...こういったことが起こる事自体最近問題になっている品格、品位に繋がる事ではないかと思います。
実はわたくし自身8月の記事「パーソナルコンピュータは本当にこれで良いのか?」で多くの誹謗中傷を投稿された事があります。その時わたくしが取った対応は反論、批判、意見以外の投稿は全て削除という対応でした。しかし、その後長い間良い気分で記事を書けなかったのは事実です...
さて、これを読まれておられる方々はご理解されておられる方々だと安心しているのですが、最近どうも「自由」という言葉の意味がしっかり理解されていない、教育されていない様に思われます。
「自由」を辞書で引きますと「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。」(三省堂提供「大辞林 第二版」)と書かれています。しかしその後にこう書かれています。「自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。」(三省堂提供「大辞林 第二版」)
ここで最も重要で決して忘れていけないのは「これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。」の部分です。つまり平たく言いますと「"自由な行動"に発生した出来事、結果に対して責任を取りなさい」ということだとわたくしは捉えています。なにより"自由"というモノは個の責任において常日頃から「建設的」で「前向き」なものでなくてはなりません(個の責任が一体どこまで持つ事が出来るのか、といった問題はありますが)。
さて、わたくしがここまで書いて問題提起したいのは(厳密に考えて行けばMacBookさんの記事内容、表現の責任も多少なりともあるかもしれませんが)コメント欄に"自由意志"で誹謗中傷を書き込んだ記入者の意識です。
個人が書き記すBlogには多くの場合において「未完」な部分が多々含まれます。何故なら書かれる記事の内容に対して職業人、研究者、専門家として精通していれば未完な部分はほとんど含まれずに済むかもしれませんが、当然なかには純粋に個人の興味からその事柄に関して言及してみようという方々もおられるはずだからです(わたくしもその一人ですが...)。そして、多くの方々が自らの意思表明の場を求めてそういった行動を行なわれることは善意の下においては多くの意見を取り入れる事になり良い事だと考えています(専門家や研究者だけの意見では新しく以外な発想が生まれにくいかもしれませんからね)。
当然そういった方々が書かれるBlogは未完な部分が多く含まれる事になります(それが資料としての完成度の問題に繋がるという意見もありますが今回は論じません)。しかし、Blogの様に不特定多数の方々が参加される場所では反論、意見、批判を通して記事を補完して行く事が出来ますし、それが最も建設的で最も理想的なあり方だと思われます。
さて、本来建設的であるべき場所に自由を掲げ、非建設的な誹謗中傷が飛び込んで来た場合どうなるでしょう??もう、言わずともご理解されている事と思われますが単純に「論外(言葉の通り論じていない)」だということです。それよりも場合によってはその文面を読んだ方々が精神的に傷つく場合があります。こうなってしまうとその行為は犯罪以外の何物でもありません。
平たく書きますが誹謗中傷は名誉毀損にあたり「犯罪」です。Blogなどインターネットを通した行動は顔が見えない、直接対面していない、非常に逃げ隠れのしやすい「都合の良い場所」だということです。誹謗中傷を書き込んだ当人はそれで気が済むでしょうが、受け取った本人はその文面を削除する以外、逃げる事も隠れる事も出来ません。しかし、残念な事に削除を行なおうともその時の記憶と感情が消え去るには非常に時間がかかるでしょう...
次に因果関係として起こる問題はこういった誹謗中傷が続く、許されると本来建設的で前向きな思想の下「個々の市民パワーを活かせる可能性」「自由な意見を述べる機会」が存在しているはずのインターネットというツールが変質してしまう事になります。これは現代においては非常に大きな問題です。
これでは現在、非常に便利であるインターネットというツールが今後閉鎖的になって行く可能性が出て来ます。「こういった出来事は頻繁に良くある事だ」と言われる方もおられることでしょうが、こういった出来事を「事象」や「比較」で考え出すとこういった悪質な因果関係を解決する事は出来ません。
皆さんも散々痛い目にあったと思われるパブル崩壊以降続いて来た長期に渡る経済不況はこの因果関係を軽んじていた事も原因の一つです。その意識がある為に解決がつかず問題が長期に渡ってしまいましたし、未だにデフレ脱却が本当に出来るのかどうか不安が拭えされません。「こういった出来事は頻繁に良くある事だ」...こういった意識が多く方々に芽生えるのも非常に危険なのです。
じゃぁ何が重要なのか??簡単です...「愛」です。常に他者に対して愛情、優しさを持つ...これだけで建設的で前向きに事は進みます。Blogの記事に自身の感情に障る様な文面があったとしても、それに対して自身の感情にワンクッションおき愛情を持って優しく言葉を伝えてあげれば、これで建設的で前向きなステキな行為になります。しかし、残念な事にこのことが出来ない方々が多いから世の中から多くの問題や悲しみ、憎しみが無くならないんですよねぇ...だからこそBeatlesだって歌っていたんでしょ??「愛こそすべて」ってね...
だから、皆さん一時的な感情にとらわれず「愛」を持って建設的に前向きに善処して行きましょう。そうすれば世の中気持ちの良い出来事が少しづつ増えるはずです。
P.S. ということでMacBookさん気持ちが落ち着いた頃に再び気力が湧いて来れば是非帰って来て下さい。そうで無い場合でもわたくしのところにはいつでも気軽に訪ねて来て下さいね(笑)。
Retro@Diary 〜Rev.B〜-"今一度「blog」というモノを考えたい
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林囓-ブロガーの権利
http://ja.wikipedia.org/wiki/誹謗中傷
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いつも楽しく記事を拝読させて頂いてました。
ただ今回の件ばかりは楽しく読むわけにはいきません。
Retroさんのブログでもコメントさせていただいたのですが、素晴らしいブログさんがこうしていなくなってしまったことが非常に残念です。
自由。
責任ある自由を。と中学の校長によく朝礼で説かれたものでした。
ネットという非現実的現実世界でこそ自覚が問われるようになってきていますね。
十人十色で賛否両論あって当然ですが「誹謗中傷」は賛否のどちらでもないでしょう。
誹謗中傷は犯罪、という部分に誇張はないと思います。まだまだネットにおける倫理道徳面での法規制というのはネット社会の発達のスピードに追いついてない現実。Web2.0とかカッコいい響きですが、それに見合った文化、法律の形成がより大事なのでしょうね。
いじめ問題といい、今回の件といい今こそ「自由」の持つ意味と「愛」の大切さがきちんと再認識されるとき。
あんなに素晴らしいブログが心ない言葉で閉鎖されてしまってホント残念です。
長々失礼しました。
私のブログの方へも来て頂いて、ありがとうございます。
今回のことは本当に残念です。
私の考えをMacBookさんはどう思うのか楽しみだったので。
その答えが聞けないままになってしまいました。
人と意見を交わすのが好きで、私以外にも色んな方が
ご自身の考えを述べていたので、興味深く拝見していたのですが。
私自身、まだ誹謗中傷の書き込みを体験していません。
当然これから、あるかもしれない。
それでも、私は自分の気持ちや考えを、
発信したいと思っています。
たぶんその直後は、なかなかネットに近づくのもイヤになるんでしょうけど。
私はこれからMacへスイッチする予定の人間なので、
Macの奥深さ、それを使う方たちのすばらしさを
これから知っていくと思います。
こうやって、色んな方とつながりが出来ることは、
ブログという手段がなければなかなか出来ないことですし、
またそれが、今回のことのようなことをも生み出すと言うこと、
言葉を発信するものとして、考えていきたいと思っています。
全く、内容のないコメントですみません。
それでは。
オイラなりのコメント書いてみたので読んでやって下さい。m(__)m
+.k代表さんの記事はオイラも非常に勉強させて頂きました。
肝に銘じたいと思います!!!
この件、いろいろな所で波紋を呼んでいますね。
そのほとんどがMacBookさん擁護のコメントですが、その点にちょっと疑問を感じています。
誹謗中傷のコメントを入れた行為は、疑いようも無く間違っているとは思いますが、そのコメントをした人は、誹謗中傷を趣味にしている訳ではなく、そうしたくなるような記事の内容だったから、子供じみた方法で反応してしまったに過ぎないと思います。
そういう人たちが世に多くいるという事実を認識せずに、そういう人たちの攻撃の的になるかもしれない記事かどうかの精査を怠ったブロガー側の非というのもあると思います。
そういう記事(主張)は時には、「ブログに書かない」という選択肢もあるべきではないでしょうか?
別にそれは主張してはいけないという事ではなく、「顔の見える人」と話をすればよいのであって、全ての主張をブログにする必要はないと思います。
ブログというものに載せた時点で、それはメディアとなり、「個人だから」という主張は通らないという事実をもっと考える必要があるのではないかと思います。
誹謗中傷のコメントを書かれた側は不快な思いをしますが、誹謗中傷のコメントを書きたくなる様な記事を読まされた側も同じように不快な気分になっているという事実もあるはずです。
それは、お互いに顔の見えないメディアを利用して、お互いの気持ちを無視した行動の結果なのではないかと思います。
個人的には、MacBookさんにはいずれまたブログを再開してもらいたいと思っています。
まったく同意です。
愛もベクトルが内向きだと怖いですよね。
>poolsさん
書く方にも責任と覚悟が必要というのには同意するけど、他は理解できません。
MacBookさんと誹謗中傷さんを同列に語るかのような物言いが不快です。
読者にも読むのをやめる選択肢があります。
ブログは個人が情報を不特定多数に公開できるメディアです。
すべての読者に配慮し期待に応える事は不可能です。
できても無味乾燥な記事ばかりになるでしょう。
反論と誹謗中傷はまったくの別物。
誹謗中傷を擁護する(そちらの立場につく)のはpoolsさん自身を貶めますよ。
常識のある人なら、嫌いなブログはブックマークから削除するだけ。
これを読んで湧いてくる感情とかひっくるめて、自分の書き込みに矛盾を感じませんか?
私たちは匿名だからいいけど、MacBookさんは針のむしろだったと思うよ。
嫌いなブロガーに対しては、「読むのをやめる選択肢」も先に選べますけど、いつも読んでいるブログに対しては、その回の内容を知る前に「読むのをやめる選択肢」を選ぶ事はできないのでは?
それから、議論はなるべくなら論理的で建設的に。今回の件での問題は、「心ない人いるね。ちゃんと礼儀は守ろうね。」だけではないはず。「アクセス数が増えてきた個人ブログの運営では、それまでと違って何か新たに発生するもの(責任なのか、批判や中傷に耐えることなのか)があるのだろうか」という点を、poolさん等は議論したいんじゃないでしょうか。
議論は、テーマを互いに共有していなければ始まりません。まずはそこから。
言葉足らずで申し訳ありませんが、わとすんさんはサイト欄を空欄にされているので、発信側ではないと判断した上で、自戒の意味を込めたコメントのつもりでした。
ちょっと失礼しますさんに汲み取っていただいた通りで、いろいろな視点から非感情的に、議論する事に価値があると思っています。
顔の見えない相手と、快だ不快だということを主張し始めたら、それはもう何の価値もないテキストになると思います。
ちなみに、MacBookさん、ちょろっと復活されるようですね。キチンと終わらせる為に始めたような事を書いていますが、できればそのまま継続していただきたいですね。
申し訳ありません。
最後に返事だけ書かせてください。
>あきさん
嫌なモノは読まなければいいと思いますが、
「読むのをやめることをもとめる」に関してはあきさんの誤読です。
言うまでもない事ですが、応援する、議論する、我慢する、読まない、誹謗中傷する、選ぶのは自由です。
>ともさん
都合のいいように発言をつまんで小馬鹿にしたような問いかけ...キツいです。
>ちょっと失礼しますさん
私も「poolさんの書く方にも責任と覚悟が必要というのには同意」と書いてます。
poolさんをMacBookさんの立場に置いてみようという意図があったのは認めますが、あれを誹謗中傷ととられますか...
その優しさはほんとうに素晴らしいと思うけど、矛先を向けられた私はちょっと複雑です。
>poolさん
まず始めにキツい物言いごめんなさい。
名前の間違いも失礼しました。
poolさんにも悪意がないのは分かっていましたよ。
poolさんの「誹謗中傷のコメントを書きたくなる様な記事を読まされた側も同じように不快な気分になっているという事実もあるはずです」という部分に反応したのが始まりです。
話の流れでは「不快な気分にさせられたなら誹謗中傷も理解でなくもない」と読めます。
それなら私の不快な気持ちを(人事ではなく)あなたは理解できますかと訊いてみたくなりました。
言葉はキツかったですが心持ちには十分気をつけて書いたつもりだったので、感情的で価値がないと片付けられたのは残念です。
失礼いたしました。ご指摘ありがとうございました。